洗濯物がうまくたためない。
片付けられないことに以前から疑問を感じていた。その日のうちにたたんでしまえばあれがないこれがない、と捜索隊が出されることもなかろうに。
友人たちと洗濯談義をしていたら、みな取り込んだものを当然ながらその場であるべき場所へしまっている。冬で乾きが悪いときは場所を変え、たたみ方を変え、室内で努力している。それに引き替え私はなんて怠惰だろう。恥ずかしいことだ。恥ずかしいと思うならさっさとやればいいのに、と反省もしていた。
で、ふとある時友人に指摘され、気付いた。我が家には勝手口に通ずる四畳ほどのユーティリティーがある。洗濯機を置いて、当初は家事室も兼ねていた部屋だ。物置と化したため家事ができなくなったのだが。そこに突っ張り棒を四方へ走らせハンガーなどを掛けている。室内で干してまとめて外へ出すので洗濯中の日焼けも最少に食い止められる。故に逆もアリ。夕方に取り込みまとめてかけておける。とりあえずそこにすべてを置き去り、扉を閉めればなかったことにできるのだ。広さに余裕があるからあわてて片付ける必要がないのだ。洗濯物がたためないのはワタシのだらしの無さではなく設計の問題、物理的理由があったのだ。よかった。
この家に来た時、食洗機はあえて買わなかった。今時の家で持っていないのも珍しいくらいだ。置けば必ず物置になる。それが遠ざけた理由だ。皿やコップがきれいになっても結局食事前に食洗機から取り出すことになるのではなかろうか。それではまるで食器棚ではないか。そんなけじめのないダレダレ生活になることはいくらワタシでも安易に想像できる。ま、食洗機がなくても洗いカゴで自然乾燥を兼ねて置きっぱなしはよくあるのだが。
なのに、そんな潔い決心をした割に・・・この洗濯物の残留は、かつて食洗機関連で懸念した事案と同じではないかと、ようやくここへ来て思いついた。
今年の目標の一つ、洗濯物をその日のうちにあるべき場所へ戻すこと。
そうすればこのユーティリティーは納戸ではなく家事室として復活できることだろう。」コレで安心だ。そして近々「すべてがきちんと戻せる素敵なワタシ」なのだから、もう食洗機を買っても大丈夫だろう。