足の形が悪い。脚ではなく(脚もだが)、あしのヒラとでも言おうか、靴をはく足だ。
平べったくてうちわのようだ。幅と長さの関係でなかなかしっくり合う靴が見つからない。
全体的に薄いのでサイズを合わせて履いてみても、歩いてるうちに指先が折りたたまれ前へ移動する。移動するから次からはもう1サイズ小さめをなどと昔は思ったこともあるが、そうなるとあちこちの骨が当たって靴擦れが出来る。
ヒールが低い靴は勾配がゆるいため、つま先へかかる力も大してないので楽だ。そういう靴はたいがい大きくくれていて浅い。すぐに広がってカパカパ音がする。なんとなく頭が悪そうだ。
いつぞやは玄関に脱ぎ並べられた靴を見てショックを受けた。友人の足幅は細く靴が全く型くずれしていないのだ。買ってからかなり経つと言うのに靴の形のまんま。うらやましすぎだ。
こういうのってなんだかとっても控えめで楚々として知的な感じがするではないか。やっぱりカパカパに広がった靴は臭そうで、きれいな形の靴はニオイもなさそうではないか。あの靴を見て以来、よそで靴を脱ぐのがとても怖くなった。打ち上げだなんだと座敷へ上がるときなど脱いだ瞬間に我が手ですくい取り靴箱へしまう。けど、個人宅ならこんなことは出来ない。出来れば最後にお邪魔し最初に帰りたいくらいだ。
その昔、フェラガモが非常に履きやすいらしい、見事にフィットして気持ちいいらしい、という情報を仕入れてきた。それから何年も経ち、やっぱり複数の知人からその履き心地の良さを聞かされいつかは履いてみたいと憧れた。教えてくれた一人の年配夫人はご主人が海外出張の度に買ってきてくれ、もうサイズさえ把握してればどれもぴったりと言う。そうか、フェラガモか。それで一度オットが海外出張の際に頼んだことがある。店を訪れ「靴ください」というと、「靴は非常にデリケートだから本人が来て合わせないと売れません」と断られたらしい。このプロ意識。ほんものの靴屋ではないか。
それからしばらく経ち、身内がフェラガモの靴を買ってきてくれた。(何故、買えたのか、本人でなければ売らないのではないのか、単にオットが客として失格と見なされただけなのか)
喜んで履いてみたらこれがなんともぴったり来ない。痛い。固い。
どこにどうフィットするのだろう。
その時に悟った。ワタシは足も日本人体型なのだと。イタリアーノはきっとほっそりとシュッっとした形の足をお持ちなのだ。うちわのような足を折りたたんでも無理なのだ。
なんてバカなワタシ。それ以来日本のメーカーで靴を見つけることにした。
あの時の靴はいつまでも硬く固い。あまりに買ったときのままなので1足だけは処分せずにまだある。当然型くずれなどするほども履いてないし、履く気もしない。自分の足になじんでないので履くたびに痛い。至近距離の時のみチャレンジするのだがびっくりするほどだ。まるでオランダの木靴を履いているようだ。フェラガモなんて嫌いだ!そう言うと回りにはたくさん「ワタシはフェラガモの靴が合わないのよ」というヤツのなんと多いこと。あなたたちも日本人なんですね。
おしゃれな友人はいつでもどんなに近所でも手を抜かない。ちょいとした集まりで出かけるときもTPOに合ったかっこいい靴を履く。
いいね、ワタシはこんな靴を履いたら足が痛くて、・・・と言うか、その前に履けないかも・・・。
と言うと
こういうのは無理矢理入れるの。痛かろうが押し込んで歩くの!
ガラスの靴ならとっくに割れてるだろうな。
おしゃれには根性が必要だな。